2024/10/11 10:45

10月に入って早11日も経つと、かなり涼しいというか寒い感じです。
ここ近年、秋が無くなったのかな?と思うくらい短くなって、秋のファッションも楽しめなくなって残念だなぁと^^
このタイミングで先日、奈良県の玉置神社というところに行きました。
8年くらい前、「玉置神社っていう呼ばれてないと行けない神社って知ってる?」「呼ばれてないと崖から落とされるんだって!」ていう衝撃と共に知りました!
「そんな怖いところ行けないわ!」と思って、何年も避けてきましたw
それが今回は5、6回目になります。
いつの間にか毎年行くのが恒例になるくらい、大好きな場所になりました。
「崖から落とされる」という噂が納得できるくらい、細い山道をぐるぐると登って行って、やっと到着する場所。
奈良駅から車3時間半かかって、休憩してたら4時間は超えてしまうくらい遠いところ。
たどり着いたら分かるけど、ものすごく山の上にあって「天界に近いな・・」と誰でも感じるくらい。
本殿があってそこに参拝をすると、そこからさらに山を登って行くと玉石社という場所があります。そこに大きな白い龍が現れて
「何を望むか」とこちらに問います。
その龍に向かって望んでいるままを伝えると、それが叶っていきます。
神社では願い事をするのは良くない、感謝をしなければいけない、など言われますよね。
その理由というのは、神様はいつも私たちを守ってくれているので、そのお礼も言わずに願い事ばかりを言うんじゃないよ、ということ。
普段のお礼を伝えることで、さらにご加護がいただけます。
でもこの玉石社では必ず「何を望むか」と聞かれる。
そしてそこで伝える願い事は、理由も言い訳もいりません。心から望んでいることを伝えます。
「5億円欲しい」「出世したい」「有名になりたい」
思っていることをそのまま伝えます。
望んでいるものに理由を付けるような「エゴ」は付け加えてはいけません。
望みというものは、エゴもなにも付けていない、クリーンな状態で伝えることで叶います。
初めてこの場所で「何を望むか」と聞かれた時、エゴバリバリで言い訳しながら伝えました。
すると大きな白い龍は動かない。
「え?静止画?」と思うくらい固まったままの龍。
「違うの?」「えっと・・」
何度か言ってみて、欲しいものだけ言ってみたら
「分かった」と山の上の方に飛んでいきました。
その時最後に私が言った望みは「お金がいっぱい欲しい!」
それが実際に叶いました。
エゴとは自分への言い訳です。
自分の気持ちを落ち着かせるために正当化したものです。
それが神様には伝わらないのです。
要は「本音」ではないのです。
本音しか神様には届かない。
エゴは本音をごまかすための言い訳。
言い訳はすべて 神様はお見通し。
エゴは持ってても得することはありませんので
もっと素直に正直に生きている方が
楽しいんだろうなと思います。
でもエゴを持って言い訳しているっていうのも
「人間だなあ」と可愛らしさもあるけどね^^
ではでは